親や身近な人の人生の終末期を経験する機会があると、自分の人生の終末期をどこでどんなように過ごしたいか考える様になるかも知れません。
今日のまちの保健室での話題のひとつに、自分の親と姑の認知症例の経験談がありました。
この2例の認知症例は全く真逆な印象で、厳しかった性格が穏やかになってきた例と、もうひとつは自立心を持っていた性格がいつの間にか自分には価値がないと思う例でした。
認知症を発症してから、何がこの違いを生み出すのか…、このような話題から、ディスカッションが広がりました。
死生観に対する考え方や価値観は人それぞれです。
日本人は特定の宗教を信仰しない「無宗教」の人が多いので、宗教による影響は少ないと言われていますが、その分何かすがるものを見つけたくなることも理解できます。
最近では「終活」などと言う言葉も市民権を得て、自分の死に対する準備を始める人も増えてきました。
老いを意識しはじめると、若かった頃との違いに嫌気がさし、ストレスを感じることもあるかもしれません。
しかし、老いや死は誰にでも平等に起こる現象です。
人生100年時代と言われている昨今、楽しんで老いを過ごせる人生を考えることが大切になってくるのではないでしょうか。
死について考えることを前向きに捉え、「今をいかに生きるか」に目を向けることは人生の最期を豊かなものにするきっかけになるはずです。
そして、今日のまちの保健室での個々の考えを出し合い、ディスカッションすることは、老いの人生を考えるとても良い時間だと感じました。
終末期の在り方に、正解はないと思います。
元気でいるうちに少しずつ自分のしまい方の準備を進めておくことが、悔いのない人生の最期を迎えるために必要なのかも知れませんが、私は専門家ではないので、あくまでも私個人の考え方です。
死の直前に悔いが残らないように、死ぬまでにやっておきたいリストを書き出して、元気なうちにそのリストをクリアしていく生き方は、振り返りもできて良いのではないかと感じます。
まぁ、最後に、言うのは簡単ですが行動に移すとなるとなかなかうまくは行きませんよね。
だって、まだ自分が死ぬとは思っていないから…。
まちの保健室での話題は、とても豊富です。
そして、色々な思いをアウトプットすることは、全て学びに繋がります。
ぜひ、あなたも遊びに来てみてくださいね。
ただし、その日にどんなテーマが飛び出すかは、その日のお楽しみになりますことをご了承ください♪
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