目指していることがあり、ある団体のトレーニングを重ね、実践形式での経験も積んだところで、これは私の目指しているゴールではないことに気づき、ここでのトレーニングを断ったという話題が出ました。
「断る」ことは、とても勇気が必要だったと思います。
どうして、人は「断る」という行為に抵抗があるのでしょうか?
みなさんも、少なからず「断る」ことへの罪悪感や申し訳ない気持ちになられたことがあると思います。
例えば、顔見知りの相手から
「貸してくれない?」
「つき合ってくれない?」
「参加してくれない?」
「行ってくれない?」
「やってくれない?」
利害関係がなければ、
「ムリムリ!」
「その日は先約あるからダメ!」
「興味ないからパス!」
などと、即答できるかも知れません。
しかし、意外と近い距離感があったり、関わってきた人間関係のプロセスにお世話になったという気持ちがあると、断りにくくなりませんか?
「スケジュール確認してみるね!」
「もしかして調整できるかもしれないから、少し時間ちょうだい!」
このように解答を先延ばしにして、その後、どう断ろうか悩み、そのことで気が重くなってしまう人、いませんか?
どうして、自分の気持ちに正直にイエスやノーが言えないのか…
それは、
嫌われることが怖い
からなのです。
断わることで悪い印象を相手に与えるぐらいなら、少し無理をしてでも引き受けてしまった方がその場が楽だと思ってしまうのです。
このような感情を抱いてしまう方は、過去に自分が誰かに頼み事をした時に断られて、とてもガッカリした経験があるのだと思います。
この体験から、頼み事をした相手に対しての期待値は下がります。
そうなると、頼まれごとをされる逆の立場になった場合、断ることは相手の期待値を下げてしまうものだと思ってしまいます。
そして、そんな私は嫌われてしまうのではないかと思うのです。
それでは、どうしたら「断る勇気」が持てるようになるのでしょうか?
まず、断わることで本当に嫌われてしまうものなのでしょうか?
これは、過去の経験が作り出した勝手な自分の思い込みなのかも知れません。
出来なものは出来ない、行けないものは行けないとハッキリ伝えることの方が、相手は気持ちが良いのではないでしょうか?
逆の立場だったら、そう感じませんか?
そして何より、自信を持って断るというのは、自分の軸を持っていなければ簡単には出来ないことなのかも知れませんね。
更なる自分軸に磨きをかけたいと思ったら、まちの保健室で、磨きをかけちゃいましょう!
いつでも、お待ちしております(^^)/
(追記)
本日のまちの保健室の始まる前の雑談で、池江璃花子さんの話題をお話しましたが、18歳、高校生で、何よりご自身が驚かれていると思いますが、報道を見て、しっかりとした自分軸を持たれていると感じました。
快復を強く信じ、笑顔を見れる日を楽しみに待ち続けたいと思います。
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