今日のまちの保健室では、「死」をテーマとするディスカッションをする機会がありました。
大切な人、愛する人、信頼していた人などの急な訃報は、誰でもショックを受けるものです。
この季節になると、喪中のハガキがポストに投函される時期でもありますね。
私が学生時代に大変お世話になった教授が今月上旬に亡くなったこともあり、今日のまちの保健室の「死」を考える時間は、私にとっても必要な時間だったと思います。
悲しみが深いということは愛情が深かったということだと思います。
悲しみを通じて、人の悲しみがより分かる人になるのだと思います。
大切な人の死を貴重な体験として、自分自身の成長に繋げることができれば、その大切な人もきっと喜ぶと思います。
そして誰もが、だれかひとりを悲しみから救うことができれば、その人のその人生は素晴らしいものなのではないでしょうか?
改めて、「当たり前」を考える時間を頂きました。
悲しみがあるからこそ、良いことがあったときに「幸福感」を感じられるのかもしれませんね。
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