友達とか、外の人には優しく振る舞えるのに、身内にはなぜか厳しい態度を取ってしまう。
こんな話題が今日のまちの保健室で出ました。
ほとんどの方に、心当たりがあるのではないでしょうか?私も、当然そのような気持ちになることがあります。
「他人」は「自分」ではないです。
しかし「身内」はもしかしたら「自分」のような存在や気持ちで接してはいないでしょうか?
例えば運動会で「他人」の子どもを応援する力と、「自分」の子どもの応援する力は、どちらが強いでしょうか?もちろん、親としてみれば「自分」の子どもですよね!
例えば「ママ友」の夫が出世したことを聞くと、表向きは喜びますが、内面では自分の夫のダメ出しをしてしまいそうになりませんか?
どちらの例も、身内に対する期待値が高く、「自分」の理想に近づいてもらえるようにと、厳しい対応をしてしまうのです。
この厳しい対応の表れは、「自分に厳しい」観念を持っていると、他人にもその厳しさを押し付ける傾向があります。
ただし、「他人」に優しくできる場合、そのストレスが反動となり「身内」に発散していることが考えられます。これでは、「身内」の人が大迷惑ですね。
このような人は、外面のイイ人です。且つ、他人の目をとても気にします。
同じ「自分に厳しい」人でも、もうひとつのタイプがあります。
それは、相手の成長を促すためのアドバイスや行為としての、厳しさになります。
この厳しさにその人に対する‘期待’が入っているのです。
もう少しわかりやすく言うならば、「教育的な厳しさ」と表現すれば良いかも知れません。
いかがでしょうか?
厳しさには2つのタイプがあるのです。
「教育的な厳しさ」には、期待と一緒に‘愛’も入っているのだと、私は思っています。
「身内」に厳しくする時は、「ストレス発散」ではなく、「愛と教育の厳しさ」で接したいものですね。
「身内」に厳しく当たろうとしてしまう時、どちらの‘厳しさ’かな?と一呼吸置くと、家庭内の空気を乱さずに済むかもしれませんね!
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よこちん (木曜日, 12 7月 2018 13:23)
今回も考えさせられるいいお話のようで、仕事で参加できなくて残念でした。
愛のある厳しさは相手も受け入れてくれると思っています。
いいお話、ありがとうございました。
こころをつなぐ平塚 (木曜日, 12 7月 2018 22:12)
よこちんさんへ
コメント、ありがとうございました。
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