3/14のまちの保健室(失敗も学問になるのかも…)

人生、生きていれば必ず失敗や挫折に出くわすと思います。

 

“失敗したくない”

 

“挫折なんて味わいたくない”

 

誰しもがそう思い、いかにしてそれを避けるかを考えて日々行動しているかもしれません。

 

それでも、やはり失敗は避けられなかったりするものです。

 

大切なことは、失敗に出会った時、それをいかにしてこれからの人生に活かすのか、糧にするのか、ということが大切だと思います。

 

「お店のポイントカードを出し間違えた」
「重要なDMを勘違いして捨ててしまった」
「買い物を清算する時に、財布を忘れたことに気づいた」

 

このような失敗談が出たあと、なんと、それらの例は‘あるある’だよねぇ~ということで、今日のまちの保健室に笑いが起こった瞬間でもありました。

 

「なーんだ、みーんな一緒なんだ(笑)」

 

失敗談をアウトプットすることで、新たな気づきが生まれてくるのです。

 

「人生の上で起きることには必ず意味がある」

「失敗は、それはあなたが乗り越えられるからこそ与えられたものなのだ」

 

そういう解釈を持つと良いかも知れません。


ここで重要なのは、失敗を‘人のせい’にしないことです。

 

私たちは、どうしても、失敗が起こると、何かのせいにして、自分を守りたくなります。


失敗をただの“失敗”として捉えていては、それはやはりただの“失敗”なのです。


ただの失敗にしたくないから、何かのせいにして、自分を正当化しようとするのです。

 

失敗から何を学べるか?
それは一体なにを意味しているのか?


それを自身が見出そうとすれば、その“失敗”は必ずあなたの糧となるでしょう。

 

「その失敗があったからこそ、成功したいまの自分がいるんだ」そう言える未来にするために、失敗を意味あるものに変えていきましょう。

 

トーマス・エジソンの失敗に関する名言をふたつご紹介します。

 

私は失敗したことがない。
ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

 

これは、有名な言葉ですね!

 

そして、

 

失敗したわけではない。
それを誤りだと言ってはいけない。
勉強したのだと言いたまえ。

 

このようにも、言葉を残されているのです。

 

失敗を「失敗学」という学問にすることもできそうですね!

 

失敗したら、まず初めに、まちの保健室にお話しに来てください。

 

きっとあなたと同じ失敗学を学んだお仲間がいるはずです(^^)/