2/14のまちの保健室(あ・の・と・き)

「今はウツになって良かったな…って思える自分がいます」
(他の参加者の心の声:へー、そうなんだ…、すげー、etc)


「ウツになったことで、人の気持ちを汲んであげようと思うようになったんです」
(他の参加者の心の声:へー、そうなんだ…、すげー、私は起こったことに対してまだ良かったと思えないなぁ…、そんな境地にいつかなれるのかなぁ…)

※(  )内は、勝手な私の妄想です。


自分自身でマイナスと思われる出来事を経験すると、その出来事を受け入れることができなくて返って悩みを大きくする方向に思考を働かせてしまうものです。
例えば、「ウツになっていなければ、もっと良い人生だっただろうに…」と。


「おかげさま」と言う他人からの恩恵を受けたときに使われる言葉があります。
この「おかげさま」も、「みなさんのおかげで元気になれました」と「あいつのおかげでひどい目にあった」と、真逆な使い方があります。

「おかげさま」を漢字にすると「お陰様」で、陰とは隠れて見えないもののことを表しています。隠れて見えないものの力が働いたということを、「お陰」という言葉で表現しているんですね。

 

どんな出来事も、どこかからの恩恵を受けたものとして捉えることができれば、「あいつのおかげでひどい目にあった」と思った時もあったけど、「あ・の・と・き」それがあったから気づくことができた」と繋がっていくものだと思います。

 

そう、「あ・の・と・き」です。


「あ・の・と・き」を受け入れることができれば、他人のせい、世の中のせい、時代のせいにしないで、自立した自分で居られるのだと思います。


「あ・の・と・き があったから今がある」

 

個人差はあると思いますが、結果的に「あ・の・と・き」の思考変換ができた時に、人は気持ちが楽になり、心が晴れやかになるのでしょう。

 

ブログの冒頭に出した例は、どん底を味わい、最悪な精神状況だった時に、その状態を汲んでくれた人が暗闇から脱出する切っ掛けを作ってくれたのかも知れません。その人の「お陰」で、人の気持ちを汲むことを学べたと言うことです。

 

私の仕事の関係で、まちの保健室に参加してくださっている3名の方にお声掛けをさせていただき、終了後にインタビュー取材を受けていただきました。


一通りインタビューも終わり、帰り支度をしている時に、インタビューアーの方が「みなさん、色々なものを抱えているのに、そうとは思えないぐらい笑顔が素敵でしたね!」とおっしゃってくれました。


本当に、私もそう思いました。


そして、こうお伝えしました。

 

「あの3名は、あ・の・と・き があったから今があると、おかげさまの気持ちが持てるようになったからでは?」と。

 

そして、

 

「まちの保健室に参加されている方々ですからね!」と、付け加えさせていただきました。


何だか、教え子を自慢出来た気分になりました。