「親友」を辞書で引くと…『互いに信頼し合っている友達。きわめて仲のよい友達』(大辞林第三版)と解説されていました。みなさんには、「親友」は、どのくらいいらっしゃいますか?少し思い浮かべてみてください。
例えば、ママ友だったり、仕事仲間だったり、学生時代だったり、趣味の仲間だったり・・・自分が親友だと思っていた人に、ある日突然、理由もわからずに急に距離をおかれたら、みなさんはどのような気持ちになるか想像してみてください。
私は、どうしてかな?何かあったのかな?嫌われる理由がわからないから、少しストレスな日々を送るかな…などと思うことでしょう。
人が一生のうちに出会う人の数は、人生80年として、
何らかの接点を持つ人 30,000人
同じ学校や職場、近所の人 3,000人
親しく会話を持つ人 300人
友人と呼べる人 30人
親友と呼べる人 3人
だという説があります。
私は親友と呼べる親友(?)、3人もいるかな…(笑)
この説から、現在の世界人口73億人を考えると、人と出会う確立は本当に奇跡な数字に見えてきます。ほとんどのこの地球上で生活している人と出会わず、一生を終えるということですからね。
「一生に一度の貴重な出会い」を表す有名なことわざに「一期一会」があります。千利休の「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という茶道の心得を表し、「もう二度と出会えないかもしれない」という思いを持って人に接することを説いた言葉です。
これを日々実践していたら、私はちょっと疲れてしまいますが、‘教え’としての知識を持つことは大切なことだと思います。
一方で「あの人と出会わなければよかった」と思う方も時には出現することがありますよね。こんな時は、自分とは違った価値観や考え方を知るだけでも、後で振り返るとそれが自分の学びや糧になっていることもきっとあるはずです。だから無駄な出会いなんて一つもないのだと思います。
マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)は“I believe that everything happens for a reason”(全ての出来事には意味がある)という言葉を残しましたが、人も同じで、出会う人全てに意味がある、“Everyone happens for a reason”なのだと思います。
奇跡のように巡り合っているからこそ、良いも悪いも一つ一つの出会いに感謝して、大切にしていきたいですね。
さて、私が親友と思っていた人から突然交流を絶たれたときの自分の心を安定させるには、あの人はあの人、私は私、きっとこれには何か先方に訳があるのだろうが、私には関係ないことだと、切り替えができる自信があります。
心理学用語で「離別感」といいますが、「相手には相手の事情がある。 相手は私の思いどおりになる存在ではない」という大人の心理状態のことです。対となる言葉に、子どもの母親に対する特有の依存心(甘え)のことを表す「母子一体感」があります。
「親友」と思っていても、相手に対する距離感が自分も相手も同じという思い込みが強ければ強いほど、突然の交流が切れるとショックも大きくなると思います。そんな時は、「しんゆう」の格付けを「親友」から「辛友」にしてみるのはいかがでしょうか?
出会いの新友から始まり、親友となり、信頼できる信友、そして真実をわかち合える真友、深い話ができる深友、同心の心をもつ心友など、「しんゆう」の格付けを作って、それぞれの距離感でコミュニケーションを取ることも良いですね。
最近のはやりで、「神友」なんていう存在を持つことも、楽しいですね。親しさの度合いも質も様々なのだから『しんゆう』という同じ言葉でひとくくりにしなくてもよいでしょう。そうすれば、「しんゆう」はどのくらいいらっしゃいますか?の質問に、意外とたくさんの「しんゆう」が出てくるのではないでしょうか?私も、「しんゆう」の漢字の数だけ、「しんゆう」を挙げられそうです。
次回は、3月8日(水)10時、お待ちしておりますね。
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